2024.10.16

インタビュー

レトロ自転車がトレードマーク・今立商店さんに聞く姫路の戦後

#働くひと

黄色い外壁と青のオーニングが特徴的な今立商店さん。 駅西という名前を知らずに歩いていた頃、私はこの一帯を「クリープの店んとこ」と呼んでいました。笑 戦後から姫路で生活していらっしゃる今立さんご兄弟。 今回、姫路の戦後の話も教えてくださいました。

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朝市のメイン通りの筋にある、今立商店(いまだてしょうてん)さん。
どでかい「クリープ」が目印ですね!このお店は、その屋号の通り今立さんご兄弟が経営していらっしゃいます。
今回は、弟さんが主にお話をくださいました。

姫路の戦後

このお店の店主さんは2代目。
ずっと姫路にお住まいで、さらに戦後激動の姫路を見てこられた方です。
戦時中の記憶もあるようで、今立さんが小学校に上がる時期に姫路に爆撃があったそう。
その際、船場御坊は残っていたけれど、そこらの川には焼夷弾が流れていたんだと!
高校生が朝夕自転車で猛スピードを出しているあの川かな…と想像しながら聞いていました。
当時のことはよく覚えていらっしゃって、当時宍粟の方に疎開していたところを高岡駅まで帰ってきていたそうな。

そして戦後の昭和23年に、初代店主の今立商店がここで始まりました。そこから場所を変えることなく、お店を続けていらっしゃいます。

私も姫路の歴史を色々見る中で、空襲の話や何もない姫路駅前の写真など見てきましたが、まさかそれらをリアルタイムで見てきた人がこんなところにいるなんて!
戦後は現在のみゆき通りに闇市が広がり賑わっていたと言いますが、その後のみゆき通りのアーケード化も、幅員50mの大手前通りの建設も見てきたなんて驚きです。

結構お店にお宝眠ってる

お店の扉はないので、自転車ドライブスルーのお客さんも見かけました。

今立商店では、保存のきく加工食品をメインに取り扱っています。
これは創業当初から特に路線変更はしていないそうです。(それでクリープ!)
冷凍食品が登場する前は、瓶詰、缶詰が保存食だったと。
スーパーマーケットの登場前は…という話はよく聞きますが、こうして専門のお店に商品のことを伺うとこんな話も出てきます。

まだまだ現役自転車。

普通にお店の前を歩いていても、軒先にある、古い自転車が目を引きます。
外国人の方も興味を引かれてよく写真を撮っていくというこの自転車…。
一見して分かる、貴重っぽい雰囲気!
今立さん曰く、現在はないメーカーのものだそうです。
サドルの部分はなんと革製!
今流通している自転車のサドルはほとんど合皮ですよね。
この劣化の仕方に、市場での歴戦の走行を感じます。
そして荷台は、段ボールやカゴなどが乗せられるようになっています。
ここに荷物を乗せて、市場を走りまくるんですね。

お向かいのお店にもあるよーと言われて振り返れば、数台同じ自転車が並べてありました。
枌原さんのお店といい今立商店といい、この近辺は博物館に置いてありそうな物品が普通にごろごろあります。
この自転車には、駄菓子の岡部平和堂さん、清水青果さんなどでもお目にかかることができます!
いろんなお店の市場自転車を見せていただくのもおもしろいかもねー。

このレトロ自転車を一台譲っていただいて改造したものが、実は現在「旧市のきさき朝市」で活躍しています。
出店者さんの商品を荷台箱に設置した箱に入れて働く、通称「イチバイク」をぜひ朝市で探してみてくださいね。
陽気な人が乗っていることが多いです。

物流感じる組合事情

今立さんへ取材に伺った日は水曜日でした。
本当だったら日曜日と水曜日でこの一帯のお店はお休みのはずですが、この日はいくつか開けていらっしゃるお店がありました。
これは、この週の月曜日が祝日で営業をお休みしていたからだそうです!
そして日曜日・水曜日が定休日なのも、大阪の中央市場のスケジュールに合わせているとのこと。
物流の仕組みを感じますね…。
市場の先は、駅西のようなお店に、そしてさらに別のお店に…と、社会科の勉強をした気分です。笑

駅西でもこの仕組みが活発だったその当時は、「お店に商品さえあれば売れる」ほど賑わっていたそうです。
それほどお店もお客さんも集まれば、組合も作るもんです。
昔、忍町+久保町のお店で、姫路卸協同組合を組織していたと教えて下さいました。
当初200以上のお店が参加していたそうですが、年月を経てその半分以下に参加店舗が減少してしまい、残念なことに5〜6年前に解散。

姫路モノレール遺構の下に入っていた組合の事務所も、その時に手放したそうです。
その手前にあった駅西店舗利用者のための駐車場も、当時は昼以降貸し駐車場にしていましたが、現在はコインパーキングに。
そんなに最近まであったのなら、一度覗いてみたらよかったなと今更ながら思います。
お店の顔と、店主さんの顔。ザ市場なファサードです。

忍んでなくない?

将来この一帯がどうなってほしい?と伺うと、「このままでいてほしいけど、人がおらんくなるのは仕方ない」とおっしゃっていました。
お話を伺う中で、あの人もお店辞めて…あの人ももう住んでないし…というようなお話をされていて、このまちでは今立さんは、出ていく人を見送ってきた方というように感じました。
この近辺の興隆を実際に目の当たりにしてきた今立さん。
大変興味深い、今立さんご自身がここで長く暮らしていらっしゃるからこその話をさまざまいただきました。

そんな今立さん(兄)、最後にぼそりと「忍町(今立商店のある町)は、昔忍者屋敷があったから忍町なんやで」とおっしゃっていました。

本当でしょうか…。
なお、久保町にはこんなものが。

この記事を書いた人:どひ

兵庫県立大学4年生(2025年2月現在)。都市計画研究室に所属し、個人的に朝市のお手伝いをしている。縁があり夕雲舎でライターとして駅西にいる人の取材を行なっている。コミュ力おばけ。